子曰、鄙夫(ひふ)は与(とも)に君に事うべけんや。其の未だ之を得ざれば、之を得んと患(うれ)う。既に之を得れば、之を失わんことを思う。苟(いやし)くも之を失わんことを患うれば至らざる所無し。
孔子先生は言われた「志の低い、人格下劣の者と一緒に奉公など出きるのものではない。なぜなら、そうした者は自分の地位や権力が得られない時どうすればそれが手にはいるかということばかりに一生懸命になるし、いったんそうした地位や権力を手にすると、今度はそれを失わないことばかりを心配する。そして、地位や権力を失わないようにと心配するあまりどんなことでもやりかねなくなる」。
◎吟亮だより
既報の通り、大変残念なことですが、創立九十周年記念大会を中止することにいたしました。できれば来年、コロナが収まりましたら再度計画をしていくことにしたいのですが、現時点ではなんとも言えません。
現時点でも教室のお稽古は開催しているところとしていないところがあります。これは当面続くものと思います。教室経由で皆さまのお手元に渡る方法で今まで本部発行の書類は配布されてきましたが、教室の開催が疎らである以上、迅速に安全に無駄なく皆さまのお手元にお届けするには、将来を見据えてインターネット経由で配布させていただく方法に徐々にシフトさせていただきます。当面はメールとLINEとファックスを併用してお送りすることにします。この会報も、その第一弾として、PDFファイルをメールとLINEでお送りしつつ、ご希望の方にはファックスで送付いたします。尤も本部からはパソコンで皆さまのファックスにお送りしますので、受信する装置の違いでしかないですが。
オンラインの話はこのぐらいにして本題の吟詠の話をしたいと思います。最近の私の練習曲は「祇園精舎」です。練習曲として優れていると思うのは、陰音階と陽音階を言ったり来たりしていて、音程の安定にはとても役立つからです。それに、初代特有の揺りとビブラートの調整も高度で、何度練習しても初代のようにはなりません。完全コピーしているつもりでも、録音すると全然違うので、さらに練習する、の繰り返しです。不覚にも最近になって気づいたのは、「無情の」節調で、「シ→ラ→ソ」だと思っていたのが、「シ♭」を経過音ではなく意識的に出していることです。まさに無常感を感じるのはこの半音づつ落としていく高等技術によるものとわかりました。皆さんもコンダクターで音を出して確認してみてください。詩吟ではほとんど使わないですが、いかに奥深い吟詠になるかを試してみてください。